文化のみち橦木館はかつて「橦木館」でした。
総括に代えて
西尾典祐偶然の出来事がいくつか重なり、私は全く縁のなかった「橦木館」という存在を知り、またそこにて経験皆無な庭仕事をするようになった。
オープンした年・平成8年の夏であった。そのあたりの事情の子細は、以前、書いているので省略するが、ともかく休日毎に橦木館に通うようになり、いつしか6年半の月日が流れていたのである。
振り返ってみれば、いろいろなことがあった。
庭仕事といっても、最初のころは単に雑草を抜くだけであった。
それも見境なしに抜いていた。やがては選別するようになった。例えば、ドクダミとニラは残すことにした。これは別段、知恵がついたせいではない。双方とも根が地中に生きていて、抜いても抜いても生えてくるので、こちらの方が諦観に入ったのである。
結果、春にはニラが、初夏にはドクダミが他を圧する勢力となり、時期が来ると一面に白い花を咲かせるようになった。訪れる人を驚かせる光景だが、俗にいう「ケガの功名」に過ぎない。
枝の剪定については、造園デザイナーの糟谷氏に教示されたところが大きかった。
同氏はテレビ番組などで、ガーデニングの解説などをされているが、同氏によって橦木館の木々の多くが自然に生えたもので、本来の庭木とは別物ということが判明した。
気楽に枝が切れるようになったのである。
木について印象的だったのは、10年9月の台風による被害だった。同月22日、日中に上陸した台風は猛烈な強風をともなっていた。翌々日、心配になって様子を見にいった私の目に映ったのは、幹がひとかかえもある月桂樹の倒壊しているさまであった。
木に関してはこちらが危ない目にあったこともある。
古橋さんという人に手伝ってもらって栴檀の剪定をしている時のことだった。
古橋さんがロープをかけ、高いところに登り、枝を切り、こちらがその枝を処分している最中、一本の太い枝が他の木に突っ込むかたちとなった。
私がその枝を抜きにいくと、そこで「悪夢」を見てしまった。枝は人の頭ほどあるハチの巣を直撃していたのである。
しかもスズメバチの巣を・・
いきなり、数十のハチに周囲を取り囲まれたが、その時、頭上から、
「動くな!」
という声が響いた。古橋さんの忠告だったが、私はいわれるようにハチに取り囲まれた状態で凍っていた。すると、しばし後、ハチ達は塑像とでも思ったのか飛び去っていった。他にも、切り落とした枝が空中で回転し、額を直撃、メガネを粉砕したこともあった。
毛虫騒動やノミ大量発生騒ぎもあった。
ネコが死んでいて、死骸を埋めたら、生まれたばかりの子ネコが二匹現れ、もらわれどころを探したこともあった。幸い、現在は某所で元気に(元気過ぎるほど)育っていると聞く。
庭とは少しはなれるが、私にとってエポックメーキングな出来事が!1年4月にあった。4月18日(日)、この日は朝から小雨で、訪問者も少ない日だった。そんな折、一人の若い女性が来た。女性は北九州でミニコミ誌を編集していて、取材に来たのだった。暇だったので、普段より丁寧に案内したように思うが、一通り回った後、加藤邸について問われた。それも一緒にいって欲しい、という。それまで加藤邸については、避を説明したことはあったが、実際にいったことはなかった。
噂は聞いていたが、どうせここと同じようなものと思っていたからだった。
それでいってみたところ、同じような広さで同じような建物なのに印象が全く違うのである。そこで気がついたのだが、何年も毎週、橦木館に来ていたのに、そこから一歩も出ず、街のことは何も知らずにいたのだった。以来、街(橦木・主税・白壁町)に興味が移り、自分なりに調査を開始した。その後、多くの人に資料や情報の提供をいただき、書きまとめた原稿は400~500枚となり、来年には出版するつもりである。
あの日、橦木館の前を通り過ぎていたら、庭仕事など一生やらず、多くの人との出会いもなかったであろう。
また、あの日、加藤邸に誘われなかったら、原稿も存在しなかったであろう。
これまでの橦木館との関わりを考えるにつれて、どこか見えぬ力に引っ張られてきたような気がしてならない。
『さよなら橦木館』(2002年12月号)より
同号には、今では見られない眺めの写真がたくさん載っています。
庭は2020年頃の工事で変わってしまい、カラタネオガタマノキ(唐種招霊)もなくなってしまいました。
カラタネオガタマノキは、バナナのような甘い香りがする、クリームがかった白い花を咲かせます。写真は、2017年5月に撮ったもの。背景の白い壁は、文化のみち橦木館の建物。
似た木に「オガタマノキ」(招霊)があり、そちらは香りなし、カラタネオガタマノキの3~4倍の高さに育ちます。神木として歴史の長い神社など、史跡にあるところも。
1円玉が手元にあれば、裏面の絵を見てみてください。なにか木が…それ、オガタマノキです。身近なところに神木があり、おもしろみを感じます。