文化のみち散歩「舎人公園」「宝寺観音院」



 

舎人(とねり)公園


宝寺観音院

かつて舎人公園を含む大きな寺社だったそうです。

境内の左側に三十三観音。穏やかなおもざし。😊

本堂前に「おもかる石」、境内に「百度石」があります。


東寺町の成立と変遷 - 名古屋市蓬左文庫』より

清須越以前に名古屋周辺に所在したか、その可能性が高い寺社。

浄土宗鎮西派 京都知恩院末。


『清須越寺社マップ』

「宝寺観音院」として大きく載っています。

東区 史跡散策路

西山浄土宗。天明2年(1782)の大火で類焼しましたが再興されました。

本尊は木造十一面観世音菩薩立像。


舎人公園よりに、見慣れない形の灯篭があります。

基礎(土台)がなく地に直立ち、竿(胴)は四角。

中台はふくらみ、火袋(火を灯すところ)がありません。

※部位ごとの色が違うため、年違いを合体させてこうなった説あり。

この特徴的な灯篭は「織部灯篭(おりべとうろう)」と呼ばれ、全国に散見します。

創意者の織部氏の経歴と、十字架を思わせる形から「キリシタン灯篭」とも。

こちらの灯篭の竿には、マリア像を思わせる観音像なし。

中台の文字は、梵字の「大日如来」に見えます。

「大日」は、キリスト教の神「ゼウス」と誤訳された説があります。

それでいえば、キリシタン灯篭と解釈できますが、大日如来といえば密教。

仏教の伝播史は、日本の政権史と深く関わっているため、考えさせられる史跡です。


入口の左右に「谷汲山(たにぐみさん)」の石柱。

「谷汲山」は、西国三十三番満願霊場の谷汲山華厳寺。

裏の刻印「慶應二年」は1866年。

翌1867年は大政奉還があり、鎌倉時代から続いた武家政権が終わりました